いつぞやの話
2015 / 11 / 08 ( Sun ) 『絶品!! 秘境のドリップコーヒーを入れる店』
そんな見出しの切り抜きをT氏が持ってきたのは梅雨が開けた頃。次回のツーリング先にどうかとのことだった。ちょうど海の日が制定され、二人とも都合よく連休となっていた。 「秘境のコーヒーなんてワクワクしないか」 そう尋ねるT氏は大のコーヒー党で、有名店のものはもちろん、自身厳選した豆をひいて楽しむほどだ。 私はといえば、アルコールの次に好きという程度で、インスタントで済ませることが多い。しかし、秘境という響きにそそられた。見出しを持ってきたT氏もその辺りは計算に入れてのことだろう。 「では決まりだな」 嬉々としたT氏だが、気になることがあった。記事は20年前に書かれたもので、見出しと日付しか確認できないほど傷みがひどい。現在も営業しているのか定かではない。しかも、肝心な場所も分からないではないか。 「その点は大丈夫。その筋に確認済みさ」 なるほど、コーヒー通のネットワークという訳か。T氏はスマホを取り出し、メールを転送してくれた。 国土地理院の地図と営業期間だけが簡単に記されていた。場所をナビで確認すると道がない。オンロードバイクでは辿りつけないだろう。 「かなり辺鄙な場所だからオフ車でないと無理だな。セローを貸してあげるよ」 当日、夜が明けきらない時間に私たちは出発した。昼ごろに到着する予定だ。 東の空が刻々と色彩の変化を見せる中、心地よい風を受けてひた走る。9時をまわった頃には、林道の入口に差し掛かった。 「楽しそうな道だな」 T氏のKLX450Rが砂利を蹴って疾駆する。慣れない林道とバイクに手こずりながらも、転ばずについて行く。 1時間ほど走った頃、轍の跡が微かに残る道へと分け入った。軽快に進むT氏とは異なり、私は悪戦苦闘を強いられ、一度ならずセローを倒してしまった。 「大丈夫か」 自分のバイクよりも、真っ先に私を気遣うT氏に感謝をしつつ、これ以上の迷惑をかけまいと慎重に進んだ。 大量の冷や汗をかきつつ、昼過ぎには何とか目的地にたどり着いた。 木々が茂る中、空き地のような場所にログハウス造りが構えてあった。看板はなく、テラスに差し込んだ木漏れ日が、いつか見た映画のワンシーンを思い起こさせた。 「いらっしゃい」 扉を開くと穏やかそうな白髪の男性が声をかけてきた。店内はカウンターとテーブル席が2つ。どれもハンドメイドのようだ。3名ほどの客はカウンターに座り、上気した面持ちで白いカップから立ち上る香を楽しんでいる。 「素敵な店ですね。漂う香も経験したことがないほど濃厚です」 T氏が破顔しつつ応じた。裕福な家庭で育った彼は、立ち振舞がスマートだ。 「お疲れでしょう」 カウンター内から、にこやかに男性。口ひげを蓄え、ベストとスラックスが上品な印象を与える。ピンストライプのシャツも糊がきいていて皺一つない。 「さっそく奥にご案内しましょう」 主人はカウンターを出、私たちを奥の扉へと導いた。T氏が事前に連絡していたのか、個室でも用意されているのだろうか―― 「こちらが脱衣所になっています」 だ、脱衣所!? コーヒーを飲むのに裸になる必要があるのか!? 辺りの空気は一層の重みを増し、コーヒーの臭気が色濃く漂っていた。 「タオルはこちらにありますのでご利用下さい」 面食らう私をよそに、T氏は何の疑問もなく脱いでゆく。遂に生まれたままの姿になった彼は、外へと通じる扉を開いた。 現れた光景は――露天風呂だった。 「T様ですね。はるばるのお越しありがとうございます」 若い女性が頭を垂れた。 「本日は私がご案内をさせて頂きます」 ニッコリ笑う女性。何が何やらさっぱり分からない。 「あ、お連れの方もご遠慮無く」 決して遠慮しているわけではない。この事態にどう対処して良いのか判断できないだけだ。 「疲れを癒やすには温泉が一番だな」 T氏が晴れ晴れとした表情でひとりごちる。 ――なるほど、湯に浸かってからコーヒーを頂くのか。そんなサービスがあるとは思いもよらなかったが、広い世界の中にはそんな店が一つくらいあっても不思議ではない。 女性の手前、タオルを腰に巻いて浴場へと進んだ。 鳥たちのさえずり、木々の創る陰影、幾筋もの光条に浮かび上がる湯けむり――神秘的な光景だ。岩を囲んで作られた湯船には黒い湯がなみなみとたゆたい、奥へと消える石造りの湯道から、止めどなく湯が注がれていた。左手を見ればログハウスの壁面にシャワーが設えており、木製の鏡台と椅子が置かれていた。 しかし、この湯の黒さは見たことがないが――。 「ああ、これはいい湯加減だ。生き返る」 T氏は既に湯に浸かり、恍惚の表情を浮かべている。 「お客様もどうぞお入り下さい」 女性スタッフに促され、湯船へと足を下ろす。少しぬるめではあるが適温だ。しかし、肩まで浸かった刹那、鼻腔に濃厚な湯気が漂い、思わずむせてしまった。 こ、これは―― 「この焙煎、たまらないな」 T氏が香を楽しむかのように吸い込み、余韻を楽しむかのように息をつく。 「これぞ、まさに桃源郷。コーヒーの湯など他にはない」 やはりっ!! これは紛れも無くコーヒーだ。コーヒーの温泉だ!! 「お悦び戴き嬉しく存じます」 T氏と女性のやり取りに頭がくらんだ。 「私どもの温泉は唯一の源泉掛け流しでございます」 げ、源泉!? そんなことがあるのか!? 掛け流しってどういう理屈なのだ!? しかも、唯一ってどういうことだ!? 掛け流さないものなら他にもあるのか!? 「地熱による自然焙煎も当方のみだと伺っております」 女性の説明とコーヒーの臭気にクラクラするなか、T氏が湯船を出てログハウスの一角に作られた小屋へと向かう。 「これは例の――」 「はい、サウナでございます」 見れば煙突から煙のようなものが吹き出している。 「焙煎途中の熱を利用したものです」 扉を開いて中に消えるT氏。隙間から溢れ出た濃密な空気ですら常人では耐え切れるものではない。燻製にならなければ良いが…。 湯あたりよりも衝撃に打ちのめされ、私はシャワーへと向かった。これ以上のマニアックな展開には付いて行けそうもない。 しかし、シャワーを目の前にして私の手が止まった。幾つものボタンが並び、どう操作して良いものか迷ってしまったのだ。 「お好きなブレンドでお楽しみ戴けますよ」 微笑む女性。 ――なるほど、産地と銘柄のボタンがある。おまけに濃さの指定もできるようだ。 しかし、砂糖とミルク、氷なしのボタンまであるのはやり過ぎではないのか? 一番無難なアメリカンを一番薄くし、ブラックを選択した。 鏡台の脇のモニターには『あなたのために焙煎中』というリアルタイム映像が流れ、コーヒールンバのメロディーが流れだした―― すっかり打ちのめされた私は、早々に風呂を出、テラスのテーブル席に突っ伏していた。T氏はまだ楽しんでいるようだった。 「一般の方には強すぎたようですな」 顔を上げれば白髪の男性がどこか楽しげな面持ちで立っていた。 「当店自慢のオリジナルブレンドです。湯冷ましにはちょうど良いと思いますよ」 白いカップが置かれ、気品あふれる香が鼻腔をくすぐった。一口すすると香ばしさの後に酸味とほのかな甘味が続き、食傷気味であるはずの感覚を蘇らせてくれた。 素人の私にでも分かる絶品!! T氏の持ち込んだ古い記事に間違いはない。 私がそのことを述べると、マスターは何とも言えぬ表情で応えた。 「ああ、あの記事ですか。どうも写植に誤りがあったようで、秘境の『ドップリ』コーヒーに『入(はい)れる店』なんですよ、当店は」 マスターは悪戯小僧のように笑った。 ども。 本日は雨模様となり、これでは出かけられないなと、引きこもりを決め込んでみたは良いものの、呑むことと寝ること以外はする気が起きず、昼間から酒はないだろうとコーヒーを頂くうちに馬鹿なことを考えてしまい、バカついでに話でも作ってしまおうと思ってしまいました。 お付き合い下さった方々には、長々とお読みいただいて大変申し訳なく――あんまり思ってないかも知れませんね。途中でお酒が入ったのがイケナイ。長くなりすぎです。 やっぱりお酒はイクナイ――でも、やっぱりスキ。 複雑な乙女心ってヤツですよ、ええ。 heininは悪戯小僧のように笑った。
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--お初です。--
おはようございます。 初めてカキコミさせていただきました。 小熊のプルーと申します! なんと創作でありましたか!? なかなか面白かったですよ(笑) また、お邪魔させて下さいネ~ では!
by: 小熊のプルー * 2015/11/12 07:20 * URL [ 編集] | page top↑
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一応、初めまして(笑)、小熊のプルーさん。 いつも楽しくブログを拝見させていただいています。 小説がお好きのようですが、長々と拙い文章にお付き合い頂き恐縮しております。 まさか最後まで読了して下さる方がおられるとは予想しておりませんでしたので、かなりビックリしています。 次回作の励みに――って、まだやる気なのか? どうも次の日曜日も天候が悪いようですので、ネタぐらいは提供したいと思っています(笑)。 |
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